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野崎龍雄さんインタビュー


「突然の受傷、四肢麻痺」
~絶望から手術、リハビリそして復活、受賞まで~


野崎氏は養護学校で美術、図工などを教えていた。2013年、画家として生きていくことを決め、教職を去る。2020年5月、頸髄損傷を受傷。そして、翌2021年、太陽美術協会東京都知事賞を受賞する。

画家、野崎龍雄氏の作品をご覧いただきたい。


0.025mmのペン先で描いた。この作風は2020年の頸髄損傷受傷後につかみ取ったものだ。

「真っ暗闇」からはじまった

「真っ暗闇」、受傷当時の心境をこう語った。涙が流れ落ち、ベッドを濡らした。流れる涙を拭うこともできない、手も指も動かないから。 立ち直ることは簡単ではない。自分「だけ」が背負い込んだ障害に、なぜ私だけがと孤独感を募らせる。人も世の中も、見える景色は、まさに真っ暗闇だ。入院中、いろいろな人を見た。モノを投げたり、看護師にアタリ散らかしたり。「おまえの顔なんか見たくない。」と罵倒する。それを氏は修羅場と表現した。他人事ではない、氏は、「私も家族に八つ当たりをしていましたよ。」と述懐する。

ひとりではない、だから今がある

ひとりではない。この言葉が氏の心に住んでいる。
画家として生きていく、再起のキッカケは人だ。手術後、寄り添ってくれた看護師の担当替えの時は、涙が出た。一生懸命マッサージしてくれたリハビリスタッフ、その気持ちが、今も忘れられない。語りながら、声は震えていた。

食事が自分でとれるようになった頃、ベッドの上でできることがないか考えた。ベッドの上で描く作品を、医師や看護師のみんなが褒めてくれた。最高の励ましだ。

苦しいリハビリを支えてくれたのは、納得性だ。3ヶ月もすれば、リハビリで伸び悩みを感じることもある。「急性期を過ぎた後(数カ月以降)は、回復速度が遅くなり、回復の程度も限定的になることがあります。」医師は、かみくだいて教えてくれた。

「(回復が鈍化しているときでも)どれだけやったかで、数年後に今より確実にレベルアップするのですよ。」がんばったことは裏切らない、そう信じることができた。
やれるという未来が見えてくる。
「整形外科医の先生方、看護師の方々、療法士の先生方。その協力がなければ、今はありませんでした。」繰り返し語る。

今、100号を描いている。大きな絵だ。テーブルの上に置いて、絵を回しながら描き進める。つい、こないだ、初めて立てかけて絵の全体を見た。
そして、できにも満足だ。


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