夢は、生活を動かしはじめた ― 頸髄損傷の先に ―
車いすラグビーに出会ってからの荒武さんには、療法士に「立たせてください」と訴えていた頃の面影はなかった。
車いすラグビーは、荒武さんの生活を広げた。いつしか世界、そしてパラリンピック代表入りを目指す気持ちへと変わっていった。
身体を動かす喜びは、競技になり、仲間になり、仕事になり、目標になった。
最初からパラリンピックを目指していたわけではない。
ただ、目の前の競技に夢中になっているうちに、芽生えた夢は少しずつ育っていた。
生活をつかみとる
車いすラグビーに出会ったあとも、荒武さんが向き合うものは、競技だけではなかった。
生活をどう成り立たせるか。
仕事をどう続けるか。
自分の力で、もう一度人生を組み立てていく必要があった。

振り返れば、転機となったのは、看護師や、同じ病棟にいた患者さんの言葉だった。
荒武さんが入院していたのは、頸髄損傷の患者さんを数多く診ている病棟だった。
「健常者と変わらない生活を手にしている人もいるよ。」
病棟にいた患者さんのその言葉を、荒武さんは今でも忘れていない。
頸髄損傷との本当の戦いはここから始まったのかもしれない。しかし、つらいとも思わない、プレッシャーもあまり感じなかった。
スポーツで生計を立てることは甘くない。障害年金だけで心許ない。
荒武さんから「場所」という言葉が漏れた。場所とは、勤務先の場所のことを言っている。自宅から勤務先が近くても、車いすで通勤ができるのかを確認しなければならないのだ。
荒武:
車いすで仕事場まで行けるかが最初の壁です。公共の交通機関を含め、すべて車いすで移動できるわけではありません。でも慣れたから苦にはなりませんよ!
この頃の荒武さんは、経済面を充実させるために、スキルアップにいそしんだ。ホームページの制作や更新の仕事を在宅で受けるためにHTML、CSS、PHPやJava Scriptを、少しでもお金を増やすために株式投資の勉強をした。何冊もスキルアップのための書籍が積み上げられていた。
仕事では生産性にもこだわった。パソコンのモニターは2台のデュアルモニター体制だ。ファイルをいちいち切り替えず、資料やドキュメントを表示するモニターと作業をするモニター2台を同時に駆使して一気に作業効率を狙う。
「障害者だから生産性が低い」、そんな言い訳は、絶対にしない。
その覚悟があった。
パラリンピックという目標
パラリンピックを目指すということは、ただ練習量を増やすことではない。
練習場所へ通うこと。
用具を運ぶこと。
住む場所を選ぶこと。
移動手段を整えること。
競技を続けるためには、生活そのものを競技に合わせて組み立てる必要があった。
選手が練習に必要な一人分の用具一式だ。これを車いすで各自運ぶわけだが、段差があれば立ち往生、スロープがあっても簡単ではない。
住居選びも一苦労。坂が多ければ生活の行動範囲が狭くなってしまう。
練習用具の運搬、練習場所の体育館に通う、簡単に事は運ばない。
自動車を運転するためにも、ブレーキ、アクセルを手で操作できるように改造が必要だ。

東京パラリンピックでは、代表入りを逃したが、この頃、スポーツに理解のある会社に転職した。競技生活を続けたい選手をサポートするアスリート採用だ。アスリート採用は、社員として籍を置きながらも、会社が競技に打ち込むことができる環境を用意してくれる。結果を残せなければ、会社に残れないのではないか?不安がないかを尋ねた。
荒武:
プレッシャーがないと言えば嘘になります。
しかし、それ以上に次の目標、世界選手権、パラリンピックに燃えている。いや、夢を楽しんでいるようにも見える。
彼女に知ってほしかったこと「5cm」
障害があっても、結婚し、子育てをしている友人がいる。荒武さん自身も、将来の家族像を思い描くようになっていた。
荒武:
砂場で(自分の)子供が遊んでいる、それを少し遠くから見つめている自分の姿に憧れますね。子供とキャッチボールもやってみたい。
その思いがより具体的になったきっかけが、現在の妻となる女性との出会いだった。お互いが思いやりながら、お互いを知る事を繰り返した。こんな質問をした。
交際中の彼女に知ってもらいたいことは何でしょうか?
荒武:
(5cmの)段差です。
5cmとは、車いすで行ける場所と行けない場所を分ける境界線だった。
しかし、彼女との交際が始まると、それは荒武さんひとりの問題ではなくなる。
どこへ行けるのか。
一緒に出かけられるのか。
将来、家族で同じ景色を見られるのか。
5cmの段差は、ふたりの未来の広さを左右するものだった。
荒武:
ご存知の通り、車いすです。一緒に遊びに行けない場所があります。例えば、アウトドア。キャンプ場の道は舗装されていません。道のでこぼこ、段差は車いすではどうしようもないのです。
街での行動範囲も心配だ。
荒武:
車いすでも舗装された道路なら、5cmまでの段差なら何とかなります。それ以上の段差は、行き止まりと同じです。進むことができないのです。
写真は5.7インチのスマートフォン、横幅を測ってみた。約8cmだった。5cm以上の段差は、道路だけではなく、ショッピングや食事を楽しむ商業施設や駐車場、街中いたるところにある。 パートナーが「5cm」を理解していなかったらデートの待ち合わせさえ実現しないだろう。
5cmを超える段差、それは誰かに助けを求めるか、諦めなければいけないのかの境界線だ。
夢は、ひとりのものではなくなる
夢は、パラリンピックだけに向かっていたのではない。
仕事を持つこと。
自分で移動すること。
誰かと出かけること。
将来の家族を思い描くこと。
車いすラグビーから始まった夢は、荒武さんの生活そのものを動かし、やがて、ふたりの未来へ向かいはじめていた。





