夢は家族とともに― 頸髄損傷とともに生きる ―
2026年5月、荒武さんを当院にお招きした。院長をはじめ、医師、看護師との対談だ。
昔話に花を咲かせる同窓会のような光景だ。荒武さんは、iPS細胞の話を熱心に聞いていた。

背負うものが増えた
車いすラグビーから始まった夢は、荒武さんの生活そのものを動かし、やがて、ふたりの未来へ向かいはじめていた。そして、何より大きな変化があった。男の子が生まれたことだ。ふたりだけではない、新しい力が荒武さんの家族に加わった。
結婚まで、荒武さんの中に逡巡はなかったのだろうか?
聞き手:
「ご結婚に、奥さまのご両親、周囲は賛成してくれたのでしょうか?」
荒武:
「やはり結婚となると… 妻のお父さんは決して前向きではなかったようですね。後から知ったのですが、妻と妻のお母さんが影ながら協力してくれていたようでした。」
聞き手:
「収入面での不安はありませんでしたか?」
荒武:
「所属している会社のアスリート雇用で得られる収入に加えて、障害年金でやってきました。アスリート雇用は、競技者として続けられなくなったときの保証があるわけではありません。不安がないと言ったら嘘になりますね」
聞き手:
「お子さんが生まれてからは?」
荒武:
「けっこう強いプレッシャーですね。」
明るい笑顔で答えてくれた荒武さん、不安や焦りだけではなく、そのプレッシャーさえ力に変えているように見えた。

さあ、子育てだ。
生まれて間もない頃は、寝ている子どもを妻に抱いて連れてきてもらい、おむつを替え、哺乳瓶でミルクを飲ませ、寝かしつけた。哺乳瓶を洗い、できるかぎり家事にも関わった。
子どもの成長は早い。
やがて、離乳食を食べさせ、あやすことも増えた。よく動くようになると、おむつ替えは難しくなった。それでも、父としてできることを一つずつ増やしていった。
夢への階段 BLITZ
荒武さんが所属する車いすラグビーチームBLITZの練習を見学した。BLITZは、東京都をホストエリアとして活動する車いすラグビーチーム、前人未到の日本選手権3連覇と最多優勝数を誇る屈指の強豪チームでもある。
そして、荒武さんは、2018年には強化指定育成選手に選ばれた。
そこには、年齢も受傷の時期も異なる選手たちがいる。誰もが、それぞれの生活を背負いながらコートに入る。コートの空気は心地良い。そこにあるものは、障害の物語ではなく、勝つために集まった選手たちの熱だ。
当院の元患者さんである山村泰史選手も、BLITZに所属している。
58歳という年齢を感じさせない力強いプレーと語りが印象的だった。

写真右 山村泰史選手
荒武さんの夢は、パラリンピックに出場し、メダルを獲得することだ。
かつて、荒武さんはベッドの上で身体を動かせずにいた。その人が今、父になり、家族のために競技を続けている。ひとりの夢はふたりの夢になり、そして家族の夢になった。
夢は、姿を変えて続いている
卒業文集、将来の夢は、「体操でオリンピック」と書いた。その夢はサーカスへ向かい、頸髄損傷によって一度止まり、車いすラグビーというカタチになって戻ってきた。
車いすラグビーは、荒武さんに再び、自分の身体で挑む場所を与えてくれた。パラリンピックを目指すその夢は、もはや、荒武さんひとりのものではない。

守りたい生活があり、自分が追いかけた夢を、今度は父として見せたい背中がある。
今、その夢のそばには妻がいる。
子どもがいる。
荒武さんは、頸髄損傷で夢を失った人ではない。
カタチを変えながら続く夢の中を、家族とともに進んでいる。





